The Grimoire Archive
グリモア トラッカー 書物

2. 畑

キーラスケスは海草と日食根の強い臭いを放っていた [1]。私はわざわざ舟の前方に座ったが、それでも匂いは風に逆らって漂ってきた。 私は3つのフラスコの中身を4つ目に移すという仕事に集中しようとした。細かい手作業が得意だったほかに、よそ見をして航路を確認できないほど難しい作業でもなかった。 我々は広大な居住地区の外縁を流れる川を下ってから、沈みゆく太陽に向かって曲がった。私は運河の傍の市場が規則正しく立ち並ぶ無数の居住タワーや航空交通に変わりゆく中で、人だかりが薄れていくのを眺めた。リースの大都市を繋ぐ発光する交通網や運河、そして道路は、輝くネットワークだった。 我々は大いなる機械が初めてリースに降り立った場所である、リース・アス・ロドリーの中核にある丘へ向かう巡礼者の列を通り過ぎた。そこには、空腹が満たされてもエーテルを食らい続け、同胞を圧倒するまで肥大化し、大いなる機械への嘆願として下腕を切り離す儀式を行うハウス・オブ・ダンサーズの大司祭たちがいた。 よろめきながら進む巨人たちの姿は奇妙だった。だが、そこには畏怖の念を抱かせる何かがある。わらわらと練り歩く目的が統一された数百もの巡礼者。 キーラスケスは私の視線をたどると、音を立てて水の上に唾を吐いた。「狂信こそが戦争の根源だ。狂信、誇り、そしてエーテルの飢え」 私は彼女を見上げた。「辺境戦争の戦線にいたのですか?」 キーラスケスがシューッと音を立てた。「お前に語る戦話はないぞ、幼子よ」彼女はフラスコを手で示した。「大事になったときのために備えておけ」 「本当にただの獣だったとしたら?」 「そうだったとしでも、トニックは旅先でも煎じられるようにしておくべきだ。それを落とすなよ」 リース全土を探しても、ハウス・オブ・レインの農地ほど見事な農地はなく、バロン・ハークシスに充てられた区画も例外ではなかった。農地の周りには、入念に取り囲まれ、規則正しく制御された数々の広大な森があった。 機械なしにはできないことだ。 そしてバロン・ハークシスはそんな機械の大群を所有していた。小型の自動ドローンは植付、収穫、そしてエーテルの摂取量の管理をしていた。ドローンが出す音は、草原に吹く風のようだ。何千もの細かい作業命令が休みなしに、そして文句ひとつなくこなされていく。 だがこれを考慮に入れても、農地に作業員がまったくいないのは奇妙だった。作業を監修し、メンテナンスと命令を与える機械作業員が数人はいるはずだった。そして、私が舟を上がり場に繋いだ後も、警備員は一人も出迎えに来なかった。 我々は葉を付けた美しい植物に囲まれた、日の当たる通路に降り立った。キーラスケスが物資の入った袋を指差し、私は自分の力量を見せつけるためにすべての袋を持ち上げた。袋はとても重く、キーラスケスの後を追ってハークシスの玄関口にたどり着いたころには、まるで地面に磔にされているような気分だった。 ハークシスの事業所がある丸い建物は、それを取り囲む豊満な土地とは裏腹に、質素で色気のない場所だった。唯一の飾り物は壁に掛けられた1対の刃、辺境戦争の形見だった。私は幼いころからそのような刃を10対以上見てきたが、その中で本物はほんのわずかだった。 だがそれよりも私の気を引いたのは、彼の机に乗せられたドローンだった。どうやらハークシスはドローンを修理していたようだ。それは戦争時に人気を博した「シャンク」と呼ばれる偵察兼防衛用ハイブリッドドローンだった。平和な時代にシャンクを所有しているエリクスニーは少ないが、ハークシスのような貴族にとっては珍しい趣味でもなかった。 ハークシスはレインの鮮やかな色を身に纏っていた。彼はキーラスケスと同じくらいの身長で、彼女と比べると少し細身で、物腰の硬い人物だった。 私は低く儀礼的な辞儀をしながら、ハウスのない身分の重みを感じていた。キーラスケスはまるで野花を摘むように手を伸ばして甲皮を掴み、私の体を起こした。 「スレイヤーを頼んだはずだ」ハークシスが言った。彼に視線を向けられ、私は甲皮がムズムズするのを感じた。 キーラスケスは平然と両手を広げた。「スレイヤーはここにいるぞ。ハウス・オブ・ジャッジメントから獣が出たと聞いたが」 「違う。私は何度も… 彼らに何度も言ったんだ。あれは獣なんかじゃない」ハークシスが言った。彼は順番に爪で握り拳をつくっていった。「あれは古の悪だ」 私はキーラスケスを見上げたが、彼女の考えを読み取ることはできなかった。彼女の顎が静かにカチカチと音を立てた。「お前は見たのか?」 ハークシスはまるでこの会話に疲れ切ったかのように肩を落とした。「部下が攻撃された。死体を取り返そうとしたが… その後はハウス・オブ・ジャッジメントが時間を無駄にしたせいで――」 「今どこにいるのかわかるか?」 「いいや。この農地では何者もセンサーから逃れられん。森も同じようなものだ。だが、農地と農地の間には園道 [2] がある… 数サイクルかけて、自然に還す手入れを…」 「我々が突き止める」とキーラスケス。「死体の場所を教えてくれ」 私は彼女が「我々」と言ってくれて安心した。だが、その気持ちは長くは続かなかった。キーラスケスのためにディスプレイや地図を運ぶ間、ハークシスはずっと私のほうを見ていた。そして私は気づいた。彼は私が生還できると思っていないのだと。 [1. 海草はそのまま解釈して大丈夫そうだけれど、「日食根」に関しては他の記述も少ないわ。光を吸収するのかしら?] [2. 農地周辺に、その土地固有の植物相や動物相が自然に任せて栄えることができるように残された土地。念入りに手入れがされているため、野生の地であったとはとても言えないわ]