汝、舌で心を折る者よ
「こんな所でも、囁きは耳を離れない。
おぼろげだが、確かに聞こえる」
C.C.ラグランジュ訳『フォールンの書——「入り組んだ岸辺」に関する覚え書きと観察』より抜粋
あるドレッグが落ちた。なすすべ無く、あとは死を待つばかりだ。そこへ、救済に向けて針路をとった「元」海賊がいた。彼にもかつて、エーテル欲しさに共に月へ乗り込んだ仲間たちがいたから。けれど現実は甘くなく、救われたのは片方だけだった。
ヒラクス、小さき者よ。ヒラクス、臆病なる者よ。弱者はヘルマウスの奥底に失われた。生なき者の留まる虚ろに、ひとりの漁り屋が住んでいる。彼がなぜ生きながらえたか、未だに語られたことはないが、それはきっと奇跡に奇跡が重なった——ヒラクス自身にしか知り得ない物語だ。
秘密をひとつ挙げるなら、彼のその強さだろう。
劣等生でか弱くて、哀れで惨めなヒラクスは、地獄の洞から出てきたときには確たる変貌を遂げていた。フォールンであることに変わりはない。孤独であるのも同じだ。しかしその目で見たもの、学んだものが悉く彼を変えた。内向の影はなりを潜め、想像を絶する全き悪夢の只中を、陶然としてふわりふわりと彷徨っている。
ヒラクスは苛酷な土地に身を隠し、ワールドグレイブに関する謎を調べ上げることに時を費やしているのだ、と言う者もいる。またある者は、いいや奴は憎き神殿を睨めつけるうち、えも言われぬ嫌悪感の中に、真実を告げる囁き声を奈落の底から聞いたのさ、などと勘繰ってみせる。
彼だけが真相を知っている。それは単純であり、同時に難解だ。彼らの推理は当たっていたのだ...どちらとも!ヒラクスは調べていた、ワールドグレイブのことを。ヒラクスは聞いていた、その囁く微かな声を。ただ双方とも、その後の出来事がすべて起こってからだった。
下層民たるドレッグが階級制度を逸脱し、バロンとして立ち上がることは、容易く起こせる行動ではない。けれどさらにあり得ないのは、フォールンらがそれぞれの地位を顧みず、自分たちの知らされている世界と、もっと上の階級が見ている地平を隔てる知のヒエラルキーに亀裂を入れてしまうことだ。そして、結局、それはあり得なかった。
いや、そうなってしまった。
ヒラクスは、ほとんど前例のなかった場所で成功を収めた。世界を治める玉座を作り、取り憑かれたように知識の拡充へ邁進し、彼の敵に関する残酷極まりない真実を、その脳裏に刻みつけた。研究調査は、たがが外れた状態で進んでいった。
ネメシスの出現について話すとき、子どもたちは彼の名を口にしない。勇士達やらコルセアやらが吹聴したがるのは、ガスプラの大虐殺で彼が行った殺しについてだ。
ヒラクス、歪んだ者よ。ヒラクス、権勢の支配者よ。その舌鋒を武器とし、実験と称して敵対者の正気をねじ曲げ、心象を作り変え、もはや被験者でなく道徳心に欠けた競りの道具にせしめるマインドベンダー。
警告は止まない。
フォールンが穢れの言葉で話すとき、その語りを聞いてはならない。かの声に囚われたなら、意志はかすみ、アンチテーゼに覆る。
そしてあなたも、劣等生でか弱かったあのフォールンのドレッグのように...
闇と孤独を知るだろう。